最近の日記

潮干狩り

アップロードファイル 31KB曇り

今日は、多忙な一日であった。
朝から除草作業、その後家の木々の剪定、そして田んぼの水やり、すべて終わって家に帰ったのは8時30分であった。
でも、今日は大潮の初日。
孫を連れて、蕪崎に潮干狩りに出かけた。
駐車場から海に出て、ハマグリ掘りに精を出した。
始めて20分たったころ、
「じじー気分が悪い、喉が渇いちゃった。」
双子の孫のうち、女の子の方が辛そうに言った。
「もう少し掘らせて・・・」
「でも、気分悪いもん」
仕方なく、もう一人の男の子に
「○○ちゃん、気分が悪いんだって・・・。」
って言うと男の孫が
「僕帰りたくない・・・。」
って言うではないか。
気を取り戻して
「でも○○ちゃんが気分が悪そうだから帰ろう」
って言うと、男の孫が
「じゃー仕方ないから帰ろうか」
やっぱり双子って庇う心ってすごくあるんだって思った。
取りあえず、家に連れて帰り、男の孫と再出発。
今度は近くの浜辺に向かう。
でもここには貝がいない。
そのとき、孫が
「大きいカニがいるよ!」
見ると、甲羅が子供の手のひらほどの大きいカニを見つけた。
「じゃー捕まえるか」
素早く捕まえバケツの仲に入れた。
孫にとって、このような大きいカニを捕まえるのって初めての出来事のようであった。
カニのさわり方について手ほどきをしながら
「カニのはさみに掴まれちゃったら大変だから、甲の後を持つと大丈夫なんだよ」
って言いながら実演指導。
理屈はともかく、実践あるのみ。
孫も理解した様子で
「そのように掴んじゃうとハサミで挟まれないね。」
って
「でも、可愛そうだから逃がしてあげよう」
孫も掴まえ方を憶え、命の大切さも知ったことでしょう。

節分

雪

ここ数日寒い日々が続いている。

我が家から望む山々は、白化粧の装いである。
所どころ、数年前の豪雨で崩壊した山肌には、真っ白い雪の鏡が一際引き立っている。

本来なら、愛車に乗って雪の白い道を走っているのだが、家内の膝の具合が悪く、小生だけで出かけることができない。
今年の冬は、我慢の年になりそうだ。

早く暖かくなって、昨年のように山歩きをしたいものだ。

昨日は、節分。
娘夫婦と、双子の孫がきた。

今年の恵方は、南南東である。
この方角に向かって恵方巻きをいただくことに・・・。

今年は、孫にとって2回目の豆まきである。
昨年の豆まきが面白かったのだろう。
そのため、早く豆まきをしたいようで、口いっぱいに恵方巻きをほうばりっている。

窓を開け、小さな手いっぱいに豆をるかみ
「福は内、鬼は外」っていいながらいたる所に投げていた。
そのため、家内の後片付けが大変である。

おまけに雨が降ってきた。
豆は、ふやけちゃって大きくなっている。
つかむと柔らかくなった豆がつぶれてしまう。

そででも、可愛い孫の蒔いた豆をひとつづつ丁寧に拾い上げていた。
そのときの家内の表情って・・・なんともいえない穏やかさを感じた。

ハムのオフ会

晴れ

1月13日の夜から、徳島県池田町の旧かんぽ阿波池田でオフ会を行った。
ただ、オフ会といっても「アマチュア無線=JA5ZXI」の新年会である。

携帯電話が全盛期の昨今、アマチュア無線をする人口が減っている。
30年以上前アマチュア無線局を開設し、世界中と交信、様々なアワード、コンテスト、防災通信などにQRV(運用、参加)していた。

日本国内では、日本アマチュア無線連盟主催のJCC、JCGコンテストに参加し、山頂までアンテナやリグ(無線機)、発電機など運びテントを張っての夜間の通信を行っていた。
とくに、5月ころのEスポ(電離層で発生するスポラディックE層の変化)のころから夏期にかけて移動BBS通信を行っていた。

でも、最近では山登りはするが、移動通信をしなくなった。
重い機材を運ぶのが大変。
若かりし頃には、車いっぱい積み込んで移動したのが懐かしい。

また、パソコンと無線を接続し、仲間とパケット通信やレピータの運用などを行ったり、通信用インターフェース製作やソフト制作など行い、作ることの楽しさも・・・。

現在も「アマチュア無線=JA5ZXI」は健在である。
関東地方から四国にかけて、友好クラブなどと楽しく通信し、中には家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている局もある。

当日は、深夜1時30分ころまで、無線通信談議に花を咲かせた。
職業は違っていても、同じ趣味の仲間って長い付き合いができる。
昔は、趣味の王様っていたのが懐かしいが、長く続けることができる趣味がある小生は、幸せ者かも知れない。

いとこ会

晴れ

みなさん如何お過ごしでしょうか。
来る5月27は、故坂上良一兄さんの3回忌です。

今回、10数年前に行ってからそのままになっていました「坂上いとこ会」を行いますのでお知らせします。
たぶん今回が最後となるかも知れません。

日時:2007年(平成19年)5月26日午後5時〜
場所:ホテルグランフォーレの1階の「宇宙(そら)」
会費:女性¥5,000.− 男性¥7,000.−
宿泊:取り合えず5部屋予約しています。

ホテルグランフォーレ
 http://www.grandforet.co.jp/
1階の「宇宙(そら)」
 http://www.grandforet.co.jp/sora/sora_top.htm

早春の穂高 その3

アップロードファイル 284KBアップロードファイル 264KBアップロードファイル 262KB晴れ

4月30日
 山小屋の朝は早い。(消灯も早いのだが・・・。)
 山小屋の部屋は、2段式の8人部屋であったが夫婦連れ3組の6人で宿泊した。
 やはり、この時期は、5月の連休に比べて登山者が少ないことを物語っている。

 午前4時30分起床。
 朝食は午前5時30分からである。
 早い出発の登山者は、予め注文していた朝食を受け取り午前5時ころ山小屋をあとにした。
 私たちも、午前5時30分から食事を摂り6時50分に出発。
 山小屋を出て左側の急斜面を一気に登り、比較的緩やかなコブを越えザイテングラートの取り付きを目指す。
 眼下の涸沢カールの幕営場には、20数張りの色とりどりのテントが白銀の世界を美しく醸し出している。
 また、左手には前穂北尾根の白い稜線がゴジラの背のように屏風岩に向かって延びている。
 約1時間ほど歩いただろうか、ザイテングラート下のあずき沢に着く。(ザイテングラート(Seitengrat)はドイツ語で支尾根というらしい。)
 あずき沢では、ところどころに小規模の雪崩が発生している。
 また、雪崩でできたデブリが多く危険である。
 私たちは、ザイテングラートを選びその尾根と東側のコースを選んだ。
 このコースは、山の傾斜と、雪庇があり危険ではあるがデブリと雪崩の多いあずき沢より安全と判断した。
 他の登山者も後につづく。
 ザイテンの中間ほどで下山中の一人が雪庇にとられ、私たちの近くを約300mほど滑落した。(この日4件の事故があった。)幸い大きな損傷はなく自力で下山したようである。

 涸沢小屋から約2時間30分で、穂高岳山荘がある白出(しらだし)のコルに到着した。
 穂高岳山荘は、26日小屋開けのため、小屋の中にはまだ補強のポールが張り巡らしている。
 もちろん、屋根には、1mほどの雪があり、軒まで雪に覆われている。
 小屋の方々は、忙しくチェーンソーでその雪塊を取り除いている。
 その様子を撮影している関係者がいた。
 「小屋の方ですか」
 私は尋ねた。
 「そうです。7月頃山と渓谷社からDVDを出します。」
 買って欲しいとまでは言わなかったが、数年前10月10日の登山の日に穂高岳山荘に宿泊したとき抽選でビデオを貰ったことがあったことを話した。

 ここで、家内を残し、比較的安全な涸沢岳に登ることにした。
 山荘前のヘリポートを横切り、飛騨側の斜面に向かう。
 28日の吹雪と寒波のためか、アイゼンが立たない、またピッケルも数回打たなければならない状態であった。
 山岳警備隊の方が言った意味が・・・・・。
 ただ、数人歩いた跡がありここを外れることなく進むことにした。
 約30分ほどで3,110mの涸沢岳に登頂。
 山頂から見ることができる垂直に落ちた真っ黒い岸壁と純白の北穂とその稜線、大キレット、南岳や槍ヶ岳が美しい。
 また、奥穂、ジャンダルム、西穂の稜線も迫力満点である。
 20分ほど時間を費やしたのち下山することにした。
 夏と違い、表面が凍結した山の山を下りるのには細心の注意が必要である。
 ピッケルとアイゼンの位置を確認しながら白出の山荘に向かった。
 穂高岳山荘では、周辺の景色を堪能し穂高の山々に思いを抱きながら下山開始した。
 この日は、横尾山荘までの下山となる。
 下山は、歩行時間:約4時間30分。3時10分に横尾山荘着。

 明日は、大正池までの平坦なコースを散策するつもりである。
 これまで上高地方面では、ゆっくりと散策したことがなく今回はじめて大正池ホテルに泊まることにした。
 帰りは、安房トンネルを抜け150号線を飛騨高山経由を予定している。