「山路風」と「山路風山岳会」の仲間たちの登山日記


山路風登山日記
山路風ネットワークINDEXへ
 はじめに
 錦秋の涸沢と穂高連峰
 剱岳・立山連峰縦走記
 八ヶ岳縦走記
 石鎚東稜〜天狗岳直登記
 冬季石鎚眺望の岩黒登山
 厳冬の赤石山系縦走記
 家族との西赤石山紀行
 大森〜佐々連尾山縦走記
 二ツ岳〜権現越縦走記
 北穂〜槍ヶ岳縦走記
 くじゅう・坊がつる山紀行
北アルプス縦走紀  涸沢〜北穂高岳〜涸沢岳〜奥穂高岳〜前穂高岳〜岳沢
2002.10.02〜2002.10.06
 2002年10月02日
2年ぶり、穂高をめざす。
今年の紅葉は、素晴らしいとの情報!踊る胸を押さえ一路上高地に向かう・・・・・。最近は、もっぱら女房との2人3脚の旅である。
午後09:30 数日前からスケジュール通り、荷物や下山後の準備を行い最終確認の上愛車のパジェロで自宅を出発!。
今回は、女房との2人3脚のため女房も運転免許書持参となった。
三島〜瀬戸大橋〜山陽道〜名神高速〜中央道〜長野道〜沢渡の工程である。
 2002年10月03日
午前03:30 中央自動車道の駒ケ岳サービスエリアに到着。
ここで仮眠をとり前空腹を満たす。
このサービスエリアでは、一部の売店が開かれていた。
午前05:40 長野道を松本インターで下り、国道158号線を高山方面に向かい途中の沢渡(さわんど)の駐車場に到着。
道路情報の電光掲示板は−1℃を示していた。
「やっぱり寒いんだ。」前日から駐車している車の窓は見事に白く凍り付いていた。
いつも車にはシュラフ(寝袋=スリーピングバッグ)を積み込んでいるのでもう一度仮眠をとる。?
でもはやる気持ちを押さえることができず断念。
「かーちゃん、寝られないから行こうか。」
「そーだね。」
お互い気持ちは、穂高に向いていた。

*************************************************************
沢渡には、上下に駐車場があります。
(上高地側の駐車場は狭いので最初の駐車場に止めておくといいでしょう。駐車料金は、1日500円だったようです。)
ここからバスに乗り換えなければならない。
上高地行きバスおよびタクシーについて(ただし、夏期シーズンの場合)
マイカー規制: 上高地には直接自家用車での乗り入れが禁止されています。
沢渡に車を置いてバスまたは、タクシーにて移動しなければなりません。
上高地バスターミナルまでの所要時間は約30分です。
なお沢渡〜上高地間は、15〜30分間隔(混雑時は10分間隔)で臨時バスが出ています。
通常期は沢渡発上高地行き: 6:00頃〜15:00頃
上高地発は: 7:00頃〜17:00頃まで運行しています。
午前06:30 車を店の駐車場に止めておき、ここからバスに乗り込む。
今回は、山小屋泊のため荷物は比較的少ない。
女房の荷物の一部を詰め込んでも大した重量にはならない。
午前07:10 上高地バスターミナルに着く。
「結構寒いな!」。まだ上高地に日が当たっていないのと身体が寒さに順応していないため肌寒く感じる。
ちょっと辛い。
上高地では、一般行楽客もおおく朝とはいえかなり混雑している。
でも雄大な自然に浸り爽快である。
大袈裟かもしれないと思うが・・・・・
「穂高の美しさは、日本で一番!。この日本の美しさを知らないでやたら外国しか目を向けない島国日本人。!・・・・・ひがみか?」
1人でぶつぶつ言いながらその光景に満足感をおぼえる。
登山届けを提出し一路涸沢に向かう。
小梨平を過ぎ梓川に出て明神岳を眺める。
うっすらと霧氷のような白い雲上の彼方をながめると、晴れ渡った紺碧の空と澄み渡った梓川の流れが、 赤く染まった木々とともに、まわりの情景に溶け込み何とも言えないコントラストをかもし出している。
午前08:00 明神館に着く。
このあたりは、上高地の延長線上にあり、大勢の一般の観光の方で賑わっている。
ここには、古来より稲穂のように鋭角の明神岳(最南峰)は印象的である。
明神岳は、立て穂の山といい、現在は明神槍、とか前明神と呼ばれている。
また、北アルプス世界に紹介した嘉門次小屋のほか、穂高神社奥宮(明神池)もあり、霧の明神は何とも言えない幻想を漂わえる。
午前08:45 梓川に沿って徳沢に向かう。
平坦な登山道を進む。
梓川と横尾方面へ向かう途中から見える明神岳がとてもきれいだ。
山頂付近では、紅葉の真っ盛りだ。
45分ほどで徳沢に着く。
午前09:30 新谷橋を過ぎ槍ヶ岳と蝶ヶ岳分岐の横尾に着く。
このあたりは、槍ヶ岳への登山と涸沢へ向かう登山者の最後の地でいつに無く賑わっている。
また、ここで引き返す登山者も多く、残りの半数以上は紅葉の涸沢へ向かっていると思われる。
蝶ヶ岳に向かう人は少ない。
横尾も、新しく橋がかかり、トイレ、水場も一段と整備され快適になった。
ここで小休止。
軽く喉を潤しながら、明神岳あたりの紅葉の頂に満喫する。
午前09:40 横尾山荘を出発。
梓川に沿って屏風岩を巻くように本谷川橋に向かう。
3年ほど前、新谷橋を渡り奥又白経由屏風の頭を通り涸沢に向かった記憶がよみがえる。
午前10:30 新しくなった本谷橋を渡り、ここで少しばかりの休憩。
以前に増して紅葉が映えてくる。
涸沢に向かう登山者が梓川の支流の辺でのんびりと休憩をとっている。
私たちは、1分程度の立ち休みをした後、ごつごつした岩の急登をゆっくりとした足取りで涸沢に向かう。
午前11:50 ナナカマドとダケカンバのの紅葉に包まれた涸沢に着く。
これ以上の紅葉にめぐり逢えたことがない。
20年ぶりの美しい紅葉である。
なかなか上手く写真に収めることができない。
このときばかりの女房の感動は、言葉にできない。
一昨年は、涸沢ヒュッテにて一泊したが、今日は涸沢小屋に向かう。
新築の涸沢小屋は、居心地最高!まだ一部の改築の作業の鋸の音が涸沢にコダマしている。
「ひさしぶりだね。」
「時間もあるし、ビール飲もうか」
「そうだね」
(実は、少し肥満気味の体を支えるため足にマメができてしまった。)
おいらの金庫番かーちゃんの買出しである。
山小屋のテラスで飲むビールは最高である。
眼下に涸沢ヒュッテと紅葉の涸沢カール、右手にはこだまする前穂高岳。
井上靖氏の「氷壁」 の舞台のゴジラの背のような前穂から屏風にわたる白い岩峰とわずかに残った緑と紅葉のシルエットが美しい。
九州から来たという愉快な中年のおじさんの会話で女房も久しぶりにはずんでいた。
同じ九州出身で、懐かしさを憶えたのだろう。
本来なら、一気に北穂に向かうのだが、小生の不徳で今回は、涸沢に泊まることにする。
こんなに美しい涸沢を前にして、通りすぎることもないだろう。
たっぷりある時間。
どことなくのんびりと過ごす涸沢カールでの一時。
ここまでたどりついた登山者のみに許される一時。
互いに、下界のことを忘れることができる一時。
いくらお金があっても買うことのできない一時。
ただ、一生の想い出として胸に焼きつく一時。
あまりにも多い感動が縦横に交差し、凡人の私にはうまく言葉で言い表す文章が浮かばない。
晩秋の陽射しを浴びたナナカマドとダケカンバのコントラストが涸沢カールに映え感嘆の極みである。
今日は、ここでゆっくりと過ごし、暇をみては付近の情景をファインダーに収める。

 2002年10月04日
午前06:30 朝食をとり、北穂高方面に向かう。
涸沢から眺める北穂への登りは、頭上に迫る岩峰と、今にも崩れそうなガレのある南稜コースは、いつももうんざりさせられる。
涸沢小屋のテラスの横から、北穂沢のガレに沿った急登を真っ直ぐ登り、その上部に続く南稜が迫る勢いでせり上がっていく。
私たちより先に出発した岳人の姿が小さく写っている。
かなりきつい傾斜の岩肌をよじ登っている光景を眺めてみると、ハアーハアーと喘ぎながら這いつくばるように登っている姿が見える。
「すごいわー」
「そうだね。いつ来ても同じ厳しーね。」
ザイテングラートに比べ一気に立ちはだかるナイフエッジの鋭い岩峰が北穂の厳しさ引き立たせる。
「この前は、雨が降ったけど今年もガスっちゃてるね。」
なんとなくいやな天気である。
「お天とさんに見放されたのかしら」
「山の天気だからしかたないよ。装備はしっかり整えてるから大丈夫!」
そうこう言いながら北穂沢を通過。
やがて鎖場が現れる。
ここから一段と急勾配である。
一気に高度を稼ぐ。
下を見ると、涸沢ヒュッテ付近に張られた色とりどりのテントが小さく見る。
それがまるでアイスクリームのトッピングのようである。
東稜の方を眺めると4名ほどのパーティーが見えている。
おそらく、熟練のクライマーだろう。
それに比べ奥穂、白出のコルに向かうザイテングラードにも多くの人が群がっている。
涸沢越に見える前穂の北尾根がゴジラの背のように美しい稜線を見せている。
急登を登ること3時間。
時計は、ちょうど09時30分である。
もう少しで南稜テラスのテント場だ。
午前10:10 大小の岩場をよじ登りまもなく奥穂高との縦走路と合流する北穂分岐に到着。
ここから北穂高岳(標高3,106m)はすぐそこである。
私たちは、この北穂分岐を涸沢岳方面に向かう。
あたり一面濃いガスに覆われ見透しが悪い。
「めっちゃ寒い!」
「おとうーさん、1枚来た方がいいよね」
「うん、そのほうがいいね。」
飛騨側から吹いてくる冷たい風が容赦なく体を刺してゆく。
ガスの漂う縦走路。
時折、ガスの中から北穂、南岳、槍ヶ岳が顔を出す。
恥かしいのか少しばかりしか風貌を観察することができない。
寒い縦走路を歩くこと1時間ばかり過ぎる頃、ハエ松の間から雷鳥のお出迎え。
「ガスった厳しい環境のときよく見かけるってほんとうだね。」
でも暖かかった前穂近くの吊尾根のハエ松帯でも見かけたことがある。
1mほどの近くになっても一向に逃げようともしない。
警戒?威嚇しているのか。
彼らの領域に侵入しているのが私たちなんだ。
そっとしておいた。
2,3枚シャッターを切りすぐ離れることにする。
飛騨からの冷たい風に悩まされながら、一歩一歩白出の穂高岳山荘に向かった。
午後12:20 最低コルから滝谷側に出て、一段と高く天を突き刺す涸沢槍の岩峰にたどり着く。
このあたりから崩壊が激しく、クサリや梯子が連続してつづく。
垂直に近いクサリ場から岩を登攀し、鉄梯子手前のクサリではバランスをくずしそうになりながら登って行く。
女房のペースに合わせ確実に進んで行く。
容赦なく冷たい風が吹き抜けて行く。
足元に注意しながら涸沢槍の穂先を滝谷側に巻いてD沢のコルに下る。
コルから再び涸沢側へ回り込んで、最後の難所の岩をハーケンと鎖を使って登ると涸沢岳稜線に出る。
これでスリリングなチンネや岩稜越えが完了した。
浮石に注意しながら前兆には涸沢岳のピークが顔を見せてきた。
これでやっと安堵感が出てきた。
「涸沢岳(3,110m) が見えたよ。」
ガスと寒さに疲れたのか女房の頷く顔が曇っている。
でも、細い体で頑張りに感服した。
午後12:40 涸沢岳(3,110m)の頂上標識にタッチした後、25分ほどで穂高岳山荘に到着。
山小屋に入りザックを降し、取り合えずチェックイン。
役目は、大蔵省?(財務省)のかーちゃんである。
部屋は、二階の比較的観通しのよい涸沢側だ。
ザックや、ピッケル・靴を置いて下の階に降り、やっと暖かいコーヒを舌つづみ。
ガスった10月の冷たい風が吹く。
白出沢から吹き上げてくる冷たい風。
山荘に遮られテラスは暖かく感じる。
痩せ尾根を踏破した談話に話をはずませながら石のベンチに腰を下ろす。
時折、涸沢越に見える前穂の北尾根が幻想的な表情で雲の切れ間から顔を覗かせる。
北尾根は、雲上に現れる北尾根は、まるでゴジラの背のようである。
右手の吊尾根はまったく雲隠れ。
このとき山荘に一羽の岩雲雀(イワヒバリ)がやってくる。
人懐っこい小さな鳥だが、テラスの登山者は、特に見る様子も無くそっとしているようである。
時間に追われる下界の世界から離れ、ゆっくりと時間が過ぎて行く。
「あっ、またお会いしましたね。」
涸沢岳で逢った夫婦づれである。
「今日は、ここでお泊りですか?」
「はい」
「はじめまして、小林です。」
お互い紹介しあって・・・・・。
「今日はけっこう多いですね。」
天気が悪くここでビバークする登山者で一段と混雑してきた。
「昨日のように川の字のようになるのかねえ。」
昨日の涸沢小屋の混雑ったら身動きできない状態だった。
でも山荘のラウンジでは、薪の暖炉の周りで備え付けられた山岳図書に目を通しのんびりと時間が過ぎて行く。
 2002年10月05日
午前06:30 やはり10月ともなれば、朝がやや遅くなったようだ。
早朝の白出コルの気温は−3℃である。
いよいよ奥穂高岳を目指す。
今日は、奥穂高岳(3,190m)から吊尾根、紀美子平を経て前穂高岳(3,090m)奥明神沢の重太郎新道から岳沢ヒュッテ、上高地の歩行距離9.5Km、8時間、歩行標高差1,600mの道程である。
穂高岳山荘を出発。
まず、奥穂高岳まで650m、標高差200nの登攀である。
出発していきなり鉄梯子と鎖の急な岩壁を登る。
朝の3,000mの登山道では、風紋が白く岩肌にくっつきひときは美しい。
およそ20分で、涸沢岳と北穂高岳のD沢の最低コルとの間に槍ヶ岳の鋭い穂先が顔を覗かせる。
北穂高岳から続くA沢越しの長谷川ピーク、大キレット、南岳から槍ヶ岳の稜線、穂高連峰の雄大さと涸沢カールの美しさに魅了する。
「あそこに見えるの頂上かな?」
「いやいやまだまだ。あれは、間違い尾根のピークじゃないかな。」
「ほんと」
初めての登山のとき、間違った頂上である。
ガスの合間に奥穂高岳が見えてきた。
午前07:20 右側の羅針盤のようなピークの左に少しばかり高く積まれたケルンの上に一体の祠が見える。
「あれが頂上」
山頂が見えれば、今までの疲れも吹っ飛ぶ。
「頂上付近で写真でも撮ろーか」
「一昨年来たとき撮ったからいいよ」
「そーすっか」
「それじゃー出発」
吊尾根から前穂高岳山頂を目指す。
吊尾根の登山道の殆どは、岳沢側に取り付けられている。
200mほどで、南稜ノ頭である。
ここから一度涸沢側に出て次のピークから下る。
ここを間違って下ってしまうと滑落してしまう。
このあたりは展望もよく、黄色く染まった岳沢から上高地が美しい。
痩せ尾根とはいえイワギキョウの最後の花が少しばかり残っている。
白いザレ場の鞍部を過ぎると吊尾根最低のコルである。
ここを過ぎ、登山道を右に巻くと間もなく紀美子平である。
このとき、一機のヘリコプターが鋭いプロペラの音を靡かせながら頭上から涸沢カールの方へ降下して行く。
数分後、ロープに吊り下げられ岳沢方面に移動していった。
(後の話だが、中年男性が、涸沢に開けた南稜付近で滑落し死亡たようであった。)

午前09:20 紀美子平に到着。
ここにバックを置き前穂高岳に向かう。
最初は、土の混ざった急な登り、200mほどで岩と小石の浮石が多い急登である。
岩稜を登ると登山道は左に折れ、右手の明神岳につづく稜線を直登すると前穂高岳山頂に着くが、15分ほど登ったところに、生々しい血痕がおびただしく残っているではないか。
昨日穂高岳山荘で介護され、ヘリコプターで下山した中年の登山者が怪我をしたって聞いていた。
たぶんその方のものだと思う。
30分ほどで前穂の山頂に着く。
殆どの登山者はここで思い思いに記念写真など撮っている。
私たちは、先端のオーバーハングしたサイの角のような岩まで足を伸ばしここで記念撮影。
ここで、同泊の小林さん夫婦とお別れし、下山開始する。

※前穂高の山頂直下に「紀美子平」という分岐ある。「平」と言えば平坦地のようであるが、傾斜した大きな平な岩が登山道に沿って横たわっている。
穂高岳山荘を開いた今田重太郎さん・妻マキさんご夫婦には子どもに恵まれず、重太郎さんの兄娘の子、紀美子さんが2歳のとき養女に迎えた。
幼い紀美子さんを伴いここ紀美子平でルートの開拓を行った。
しかし、重太郎氏の愛娘の紀美子さんは、昭和45年23歳の若さで他界した。
紀美子平は、山荘のアイドルだった紀美子さんの名前をとって付けられたそうである。
現在は、紀美子さんの兄英男氏が穂高岳山荘の経営を継いでいる。
写真は、昭和34年(1959)中学生のころの紀美子さん。1988年9月1日発行:双星の輝き久保博司著より


午前10:20 紀美子平でザックを背負って岳沢に向かう。
紀美子平の指導票を越えいきなり急降下し、奥明神沢側に出て傾斜したスラブ状の鎖場を下降し、今度は、鉄梯子を登りここを左に巻く。
さらに、雷鳥平を過ぎ、ハエ松帯の尾根をだらだらと下る。
岳沢のパノラマを下降すると黄金色のダケカンバに彩られた樹林帯に入る。
いくつかの鎖場と、長い二段の10mほどの鉄梯子を下りるとカモシカの立場に出る。
「わーい。とっても綺麗!」
「しんどいけど最高の景色!」
「・・・・・・」
「写真撮るから先に下りていて!」
だいぶ膝にきている様子の女房にゆっくり歩くように促し、黄色に染まったダケカンバの間から奥穂、吊尾根の岩稜をシャッターにおさめる。
奥明神沢のトラバースを繰り返しながら一気に高度を下げる。
気丈夫な女房でさえ、言葉が出なくなっている。
岳沢ヒュッテ(標高2,230m)が目前だ。
このあたりは、真っ赤に染められたダケカンバの実が一段と輝いている。
沢のテント場を過ぎ、岳沢ヒュッテに着く。
ちょうど12時だ。
「ここでメシにしよう。」
「私ビール飲みたーい。」
「500円もするの?(350cc)」
「高いか安いか考えない!乾いた喉には勝てぬ!」
ダケカンバとナナカマドに囲まれたテラスで憩いの一時を過ごす。
近くでNHK長野放送局の番組収録の準備でヘリコプターが忙しそうに発着を繰り返している。
あとから来たパーティの1人が
「上高地まであとどのくらいか借りますかね。」
「2〜3時間ぐらいですね。」
「まだそんなにかかるの」
愕然とした顔つきで林檎をかじりながら
「もう近いと思ってたんだけど・・・・・」
噴出しそうになった顔を押さえて、
「着けば歩かなくて済むでしょう」
「そうそう・・・・・」
12時ちょうどで岳沢に到着。
午後13:00 急勾配のつづいた重太郎新道で疲れた足に湿布をし、1時間ほど食事と休憩し、岳沢を明神側の右岸に渡り上高地に向かう。
このあたりは、潅木の生い茂る樹林帯が岳沢に沿って石畳の道が続く。
6番の丸いプレートあたりからツガとシラビソの樹林帯に入り、途中風穴を通り更に鬱蒼とした原生針葉樹林帯に入る。
枯葉と柔らかい土の混じった比較的歩きやすい登山道に、疲れた膝のやさしく労わってくれるようだ。
時計は、15時を回っている。
河童橋の吊橋を越え上高地バスターミナルに出る。
午後15:30
バス出発
午後16:30ころ
沢渡方面のバスを待つ行列が長くなっている。
約1時間待ちの後、やっとのおもいでバスに乗り込む。
ところが、釜トンネルに差し掛かる所で、信号と離合待ち。

午後17:30 沢渡についたのは日も暮れた午後17時30分。
バスから降りるなり、「まいったな」
「うんざり」
真向かいの、「お憩処さとう」さんの駐車場のパジェロに向かい、ここで温泉に浸かるため衣類をもって浴室に向かう。
入浴食事をしさっぱりとした気持ちで、沢渡に別れを告げ帰宅の途につくのであった。
(帰りは、駒ケ岳SAで仮眠をし、神戸ハーバーランド経由で帰宅した。)
沢渡駐車場の案内 (http://www.sawando.ne.jp/)より